2008年11月7日金曜日

オーストラリアで運転

オーストラリアで運転する方法。

ワーホリや一時滞在では国際免許が一番楽。

学生や長期滞在をするのであれば、こっちでの免許を取る事が良い。


日本で免許を持っている場合は、
①大使館へ行き、免許の翻訳を作ってもらう。(数日かかる)
②その翻訳してもらった書面を持って、
 教習所や免許センターへ。(West Perthが一番Cityからは近い)
③そこでアプリケーションに書き込んで(住所等)、視力検査と写真撮影をしたら

オーストラリアでの免許ゲット!

これが自分がやった方法。

日本の免許から切り替えた場合は
こちらで免許を取り立ての人がかざさないといけないPプレートを
付ける必要は無し!

日本の免許無い場合は、こっちで教習所に通いパスする必要があり。
全て試験をパスして免許を取ってからも、Pプレートを付けてないと
罰金になります。。。

しかもこの期間が結構長い。
赤Pと緑Pがあって、赤P期間は夜10時以降運転してはダメとか。。。
全部で2年ほど免許を取ってからPプレートが必要なのです。

ちなみにPプレート期間は飲酒もダメw

まあそれも仕方ない。
若い子の車の事故が結構絶えないから。

日本とは違う所で免許を取るってのも楽しいだろうね!




























2008年2月25日月曜日

ワーホリシールをゲットしに! オーストラリア留学日記 Day 5

今日は朝起こされ、学校までの道のりをファーザーに案内してもらう。
結構車でぐるぐると回った。
だいたいの道はわかったので、明日スティフと一緒にいけば大丈夫そうだ。
 
そして昼頃から、CITYに出かけ、移民局でシールをもらいに行った。
移民局に行ってみるとかなり混んでいてこまった。
1人の日本人の子がいたので、話を聞いてみた。
その子はもう3年もここにいるとのこと。
高校からこっちに来ていて、今度は大学へ行くらしい。
すごいな~って関心してしまった。自分は機会はあったけど、
度胸がなくて高校からこっちにこようとは思えなかった。
やっぱり何事にも勇気って必要なんだな~とすごく感じた。
そして彼女から聞いたのは、ここは良い街だってこと。
慣れたら、すごく良くなって離れたくないって言ってた。
自分は今はそうなるのかが、かなり不安であるわけで・・・
彼女の順番は来て、Bye Byeし、しばらく待つと自分の番になった。
パスポートを出すと、すぐにチェックしてくれて、シールを張ってもらい
あっさりと終了。なんだか単純なんだな~と感じた。
その後は、携帯を買いに、パトちゃんへ。
悩んだけど、なんだかんだ話を聞きながら、携帯を購入。
やっとこっちでの通信手段を手に入れたって感じ。
よく考えると高い気もするけど、気にしすぎないほうがいいってこと。
 
そして遅くなる前に帰宅。
今日はファーザーがSpecial Japanese Dinnerだと言って、料理を作ってくれた。
結構いい感じの味付けでとてもおいしくよかった。
さらにデザートまで出てきた。これがまたかなりの量で・・・
太ってしまいそうなので、今日も歩いてきた。
 
とても綺麗な空が青に染まっていくのがとても綺麗だった。
 
今はまだ、今後の不安や、先行きの不安がかなりある。
それがいつかは、もっとここにいたい!に変わるのだろうか?
どうなっていくのかがわからないのはかなりの悩みだと思う。
残り360日

2008年2月23日土曜日

メルボルンという街 オーストラリア留学日記。Day 3

週末は、さっそく、CITYを探検しに行った。
西洋風の建物が立ち並び、路面電車が通る街。

Flinder Streer駅を降りるとそこには、大きな建物があり、
噂によると、魔女の宅急便で飛行船が引っかかる
時計台のモデルになってるとのこと。

街を歩き、見ながら自分が、別の国にいるんだと実感する。
外国では財布をあまり出さないほうがいいので、
胸ポケットに、20ドルと、iPodを入れて、歩いていた。
(まさか後に悲劇につながるとは思いもせずに)

街中にはアジア系、ヨーロッパ系、中東系と
様々な人種がいる。
日本人なのか、はたまた違うのかもよくわからない。

この日は碁盤の目の造りをした街中を歩き回り、
どこにどんなものがあるのかを見て回った。
情報は足で稼ぐ、それが旅では重要である。

街中の地図や、電車のMAPなどをGETし、
色々歩いて疲れたので、お茶でもしようと思って、
胸ポケットを探ると・・・
「ないっ!」そう20ドルが消えていたのだ。
そしてふと気がついた、街中で1度だけ、iPodを胸ポケットから出したのを!

おそらくそのときに一緒に落としてしまい気がつかなかったのだろう。
一応出したと思われる場所に戻ったがあるわけも無く・・・
これはあきらかに自分のミスなので仕方ないが、
20ドル=2000円ってとこがかなり痛い・・・

かなり悔しい思いをしながら、電車にゆられ帰宅した。

外国では、お金はもちろん、荷物に関しても、
置いたり、落としたりしたら、その人が悪いってのが当たり前。
親切に届けてくれる人なんてめったにいない。
ましてお金なんて、どこにも自分のって証拠もないので余計そうだ。
そんなところで落としたのだから仕方が無い・・・

全く・・・こっちにきて結構トラブルが多い気がする。
でもそんなときは思い出すようにしている。
会社の方が言ってくれた言葉を。

困難に遭遇しているときは、それを修行なのだと思うこと。
その修行を乗り越えれば、かならず良いことがやってくると。

そう。いろんなトラブルがあっても、そこで諦めずに、めげずに、
前へ進むことが大切なのだと。

忘れてはいけないこと。
それは"STAY GOLD"ってこと。

2008年2月22日金曜日

上陸メルボルン! オーストラリアワーキングホリデー Day 2

2008222日。
天気曇りのち晴れ、ときどき雨
飛行機の中でもあまり眠れず、なんだか疲れはとれない感じ。
そしてとうとうオーストラリアのメルボルンの空港に到着した。
入国審査は緊張したけど、拍子抜けした。だって何も聞かれなかった。
しかも申告するものなにもなかったから、すぐに空港から出れた。
すこし探して、学校関係の人を見つけて、他の人を待つ。
M君という北海道出身の男性と出会った。
彼は旭川出身で、札幌でコックをしていたみたいだ。
ものごしのやわらかい感じの人で、すごくいい人そうだ。
しかも同い年!なんて奇遇!って感じ。
 
空港から1時間ほど走っただろうか。
Canterbury通りが見えたので自分のステイ先だとわかった。
出迎えてくれたのはホストファーザーだった。
与えられた部屋はかなり広い部屋で、
1リビング、1ベットルームといった感じ。
インターネットも使えるけど、イロイロと日本にくらべると、
厳しい家のルールがあるので、結構気がめいってしまった。
多分ここでは延長せず、5週終わったら、シェアに移ると思う。
 
すこし仮眠をとってリビングに出たら、ベトナム人の奥さんがいた。
その後、町までを案内してもらい、口座を開設し、
電車の乗り方を教えてもらい、電話のカードも一応買っておいた。
 
そして、部屋に戻ってから、すこし散歩をして帰ってみた。
軽く締め出されたかと思ってびびった 笑
夕食までうとうとして、夕食の時に、同じ留学生の子と対面。
どちらも中国人留学生で、18歳の男の子と、18歳の女の子だった。
スティフとアンジーという名前みたい。
食事は比較的アジア系でおいしかった。
 
奥さんの英語も結構早くて、かなり聞き取りにくい。
これはかなりがんばらなければって感じだ。
 
お風呂や、インターネットは制限があるが、
郷に入れば郷に従えの精神で頑張ってみようと思う。
そう思えたのは、食事の後、スティフと散歩がてら、
イロイロと話をして会話することは楽しいと感じたのと、
アンジーは結構優しい子で話をしてみたいと思ったからだ、
 
出発前にいっぱいトラブルあったけど、
すこしづづ気持ちも戻りつつあるのでよかった。
 
今日は空と雲がとても綺麗だった。
空を見るたびにあの言葉を思い出してしまう。
ここにいることの意味、あそこにいないことの意味
それをすこし感じながら、シャッターを押した。
 
英語だけの映画は何を言ってるかわからないけど、
部屋にテレビも着いていて結構快適ではある、
あとは、洗濯の問題が解決されればなんとかなるかな!
 
そんなこんなのオーストラリア生活が始まった、
早く学校に行きたいとすごく感じる今日だった。
 
残り363日。

2008年2月21日木曜日

オーストラリアワーキングホリデー Day 1

2008221

昨日からの作業のため寝れないままこの日を迎えた。
父を見送り、2時間ほど仮眠。
今日でしばらくこのベッドに寝れないのに、なんだか悲しい。
朝おきて、母さんの手作りの朝食を食べる。
やっぱり母の料理はとてもおいしい。しばらく食べれなくなるのが
とても辛いと感じる。
目玉焼きと、お味噌汁、ご飯に、明太子。
母と話しながらの朝食を満喫して、
やっておかなければならないことをこなす。
今日はすごく天気が良い。出発には申し分ない。
車も洗車して、綺麗にしてあげた。
しばらく乗ってあげれないので、綺麗にしながら、話しかけた。
またこいつに乗ってどこかに行きたいな~とすごく感じた。
 
その後、ゆっくりとお風呂に浸かった。
とても気持ちが良かった。すごく気分もよく、気持ちが落ち着いた。
そして最後の荷物詰めに取り掛かり、もうすぐ終えるってところで、
大問題が発生。
 
2日前に買ったばかりのパソコンがdisc errorを吐き出し、
起動できない状態に・・・
なにをやっても復旧せず、いわゆる初期不良ってやつ・・・マジ最悪。
しかも家をでる予定の30分前にそんな大トラブル・・・
こいつはなんとかせねばと、量販店に電話。
だけど、売り場が忙しいとか、何度も同じことの繰り返し・・・
折り返すといっても、全然連絡こないし・・・
あまりの対応の悪さに、かなりイライラきてしまった。
どんどん焦り、荷物詰めも手につかず、イライラする一方。
なんどかやり取りしたけど、結局交換してくれることにはなったけど、
時間に間に合わないので、予定より30分以上も遅れて家をでた。
 
母とゆっくり話しながら、行きたかったのに、
対応の電話などでイライラしてしまい、ゆっくり話せなかった。
母は、「もう仕方ないんだから、切り替えよう!」って言ってくれたので、
少しづつ落ち着きを取り戻せてはこれた。
成田までの長い道のりを、母と話しながら行く。
しばしこうできないってのはなんだか寂しい。
やっと成田についたけど、搭乗手続きが結構ギリギリだった・・・
成田に来てくれた友人とも会い、話をして、お餞別をもらった。
すこしの時間だけゆっくりして、いよいよ出国。
母の「頑張ってね、気をつけるんだよ」と
友人のの「気をつけてね」がすごく胸にささり、
握手をしたとき、すこし涙が出そうになった。
こらえながら、手を振って、検査を終えた。
何度も振り返り、何度も手を振った。僕が見えない位置にきてしまったので、
母と、友人が帰っていくのが見えた。
小さくなっていくその後姿が、とても寂しさを強調させた。
 
とくに何事も無く飛行機は僕を乗せて出発。
飛び立つまで、隣に座っていたオージーと早速英会話。
こりゃ~まだまだしんどいわ・・・と痛感。
隣のオージーの彼女は日本で英会話の先生をしているらしい。
 
飛行機は飛び立ち、日本から離れていく。
すこし涙がでそうになってしまう。いろんなトラブルがありすぎて、
正直、間違えだったんじゃないとも感じた。
 
これから自分はどうなっていくのだろう。
あんなにたくさんのトラブルがあり、正直、かなり疲れてしまった。
選択を間違えてしまったのではないかと、すごく不安になる。
精神的にかなりダメージがあるそんな状態で、
留学初日は飛行機の中で過ぎていった。
【残り364日】